だいぶ時間が経ちましたが、今年2019年の7月末に無事台湾大学から卒業しました。ですが来年また数学研究所の博士課程に入るかもしれません。現在はリサーチアシスタントとして台北市内の某研究機関でのんびりと過ごしています。
卒業式
応用数学研究所の代表に選ばれたので、卒業式当日は、台に上がって校長先生から卒業証書と書かれた空っぽの筒を受け取る役をさせてもらいました。また午後からは学科別の卒業式もあり、数学科棟でも卒業式が行われました。
学校を卒業して働き出すと人間は金銭以外では繋がることが難しい中、学校や大学という場所はわざわざ私たちの門出を祝福してくれるという愛に溢れた、人間社会に残された最後のオアシスではないかと思いましたw
統計学の研究会
卒業式の翌日、新竹の清華大学で修士の学生向けの修士論文研究の研究会がありました。ポスター発表の形式で、審査員の先生が来た時に、口頭で自分の研究を5分程度で紹介しました。研究会の閉会式では、嬉しいことに自分の研究発表が表彰され賞状を頂きました。
またその関係で、同月末に台中の中興大学で行われた別の研究会で200〜300人の聴衆を前に3分間で研究紹介をする機会を与えられました。発表はとても緊張しましたがよい機会を与えてくださったことに感謝しています。
修論の口頭試問
7月下旬に修論の口頭試問が行われました。指導教官以外に、学内および学外から計3名の教授が私の修論の発表の審査に来てくれました。数学科棟の一室を借りて、そこでスライドを使って30分〜40分ほどで修論の成果について発表し、その後先生からの質問に答えるというものでした。(ちなみに修論のテーマは畳み込みニューラルネットワーク内における射影による次元圧縮手法です)厳しい質問がされて頑張って、ディフェンスするというというものでもなかったので、終始和やかな雰囲気の中で終わったと思います。
ちなみに修論は英語で書きました。基本的に数学研究所(応用数学を含む)の人たちはほぼ全員英語で修論を書いているようです。ただし口頭試問のディスカッションなどは中国語で行いました。
卒業証書の受け取り
口頭試問が終わってからは、修論の手直しをしてから、台大総合図書館のサーバーに修論のPDFをアップロードしたり、フォーマットの審査を受けたりして、その後、無事審査が終われば印刷屋にいって修論を印刷して図書館に納品するという感じでした。PDFに透かしを入れたり、識別番号を入れたり、パスワードかけたり色々面倒だったので、直前になって慌てないようにしたいですね。
あとは大学から出るために数学科の研究室を整理したり、鍵や棚を返したり、卒業式の時に着る服を返したりと卒業のための手続きをし、最後に卒業証書を受け取りました。 ついでに3年間の戦績を印刷してきましたw
最後に振り返り
- 台湾に来た一年目は授業の負担の量や、自分のキャパシティが把握出来ていなかったので少し無理をしすぎて精神的に辛かったです。また私は数学科出身ではないので、解析の授業でハンディキャップを埋めるのがしんどかったです。
- 台大生活にも慣れ、コツコツと自分なりに勉強を続けたおかげで、二年目からは解析もわりとできるようになりました。また先生から試験の出来を褒められることも増えました。また親しい人も増えてきてよく一緒にディスカッションしたり、また他の人に勉強を教えてあげたりするようになりました。
- 三年目はようやく単位も揃い、全科目A+の成績で揃えることが出来ました。またよい指導教官の先生に恵まれ修論なども、大きなストレスを抱えることなく仕上げることが出来ました。
- もし海外へ大学院留学を迷ってる人がいたら、経済的に許される限り、とりあえずこればいいじゃないかと思います。私の体験を一般化することは出来ませんが、はじめは自分に何か知識や能力がかけていても、きちんと時間をかけて、自分に足りないものを戦略的に補っていけば最後には大きく成長できると思いました。
酒井といいます。私は1978年に台湾大学の数学研究所を卒業しました。卒業論文は統計関係でした。台湾大学の数学研究所の校友会で検索したら、でてきたので、懐かしく思いコメントを残します。そのころの台湾人の同級生はアメリカの大学院にいくのがほとんどでした。アメリカのスタンフォードとかコロンビア大学とかバークレーとか、です。最近台湾に行ったのは1990年です。そのときは沖縄から船が基隆まで定期船が行ってましたので。私のいたころは90%の教科書はアメリカで発行された英語の本でした。いま東京に住んでいます。東京に来られるチャンスがあれば連絡して頂ければと思います。いま東京で、ソフトウェア開発の仕事をしています。
酒井様、コメントありがとうございます。
30年以上も前に、台湾大学の数学研究所で留学した日本人がいらっしゃったと知って驚いています。
私が修士1年の時に、数理統計の授業を担当してくださった陳宏先生も、1976年の台湾大学の数学科の学士を卒業し、
その後、コロンビア大学で修士、カリフォルニア大学バークレー校で博士を取得されています。(陳宏先生は昨年、リタイアされました)
もしかしたら酒井様とも当時、大学ですれ違ったりしていたかもしれません。
私が履修した台湾大学の授業(統計系、解析系)では、すべてアメリカの英語の教科書でした。
東京に行く機会があれば、またご連絡させていただきます。
酒井様が台北にいらっしゃる場合もぜひお声掛け下さい。
東京で、コロナウイルスが猛威を振るっている聞いています。どうぞお体にはお気をつけ下さい。
森元様
ご返事ありがとう御座います。酒井です。
(1) 陳宏先生に関してですが、私が数学研究所に入学したのは、1975年9月なので、1年間一緒だったので、写真をみればわかるかもしれません。数学研究所で、研究室に3人ぐらいいましたが,同じ研究室ではないかもしれません。
森元さんのブログに書かれているルベーグ積分とか回帰分析とかを見て懐かしく思っています。
私が研究所にいたときに日本語がわかる賴東昇先生とか姚景星先生とかおられてお世話になりました。姚景星先生は九州大学でマスターを取られた方です。
(2)私は基隆路の数学研究所宿舎に住んでいましたが、まだありますか? 2階建ての数学科ビルで学習していましたが、数学科ビルはもうないですか? 台湾大学のホームページで正門の写真をみたら40年何年前と変わっていないので、懐かしく思いました。
(3)2日前に東京のスーパーで台湾製のマンゴーを購入して食べました。 留学時代によく食べたことを思い出しました。
(4)東京はここ1週間、毎日100人前後の患者がでているので、気を付けないと大変です。
東京に来られるときはご連絡ください。